【栃若時代の真実】栃錦とのライバル関係が大相撲を変えた

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【栃若時代の真実】栃錦とのライバル関係が大相撲を変えた
【栃若時代の真実】栃錦とのライバル関係が大相撲を変えた
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初代若乃花の名前を歴史に刻んだもう一つの理由が、第44代横綱・とのライバル関係である。2人が活躍した1950年代後半から1960年代初頭は、相撲史に残る黄金期として「栃若時代」と呼ばれる。

栃錦も若乃花と同じく、体格だけで相手を圧倒するタイプではなかった。小柄ながら粘り強く、巧みな技術で勝負する栃錦と、強靭な足腰と豪快な技を持つ若乃花。異なる持ち味を持った2人が毎場所のように優勝を争ったことが、観客の関心を集めた。

1960年3月場所の全勝対決は相撲史の名勝負

若乃花幹士初代
【画像】若乃花 幹士 初代 関連ショット

栃若時代を象徴する一番が、1960年3月場所の千秋楽である。両横綱は14日間を全勝で終え、千秋楽に15戦全勝を懸けて直接対決した。

この取組は、横綱同士が千秋楽に全勝同士で対戦する史上初の一番として記録されている。結果は若乃花の寄り切りによる勝利。若乃花は15戦全勝で8回目の幕内優勝を飾った。

放送ライブラリーに保存されている当時のニュース映画にも、この歴史的な一番が記録されている。相撲協会の撮影による映像資料が現在まで残っていることからも、当時の注目度の高さがうかがえる。

なぜ栃若時代はこれほど人気を集めたのか

若乃花幹士初代
【写真】若乃花 幹士 初代 近影・注目カット

背景には、テレビ放送の普及と大相撲の競技としての魅力があった。1958年ごろは家庭へのテレビ普及が進み、人気力士の対戦を茶の間で楽しむ環境が広がっていた。

そこに、栃錦と若乃花という実力が拮抗した2人の横綱が登場した。単なる勝敗だけでなく、技術、駆け引き、土俵際の粘りまで見どころが多かったのである。

栃錦が1960年5月場所で引退すると、栃若時代は一つの区切りを迎えた。若乃花はその後も優勝を重ねたが、好敵手を失ったことは、昭和の相撲ファンにとって大きな時代の変化だった。

【引退後の二子山部屋創設】19人の関取を育てた名親方

若乃花幹士初代
【資料】若乃花 幹士 初代 報道・メディア記録

初代若乃花の功績は、現役引退によって終わらなかった。1962年に現役を退くと年寄二子山を襲名し、花籠部屋から独立して二子山部屋を創設した。

親方としての若乃花は、現役時代と同じく稽古を重視した。日本相撲協会の相撲博物館が2011年に開催した企画展の記録では、二子山部屋から2人の横綱と2人の大関を含む19人の関取を育てたと紹介されている。

初代若乃花が育てた主な力士

- 二代目若乃花幹士:第56代横綱。初代若乃花の弟子として横綱に昇進した。
- 隆の里俊英:第59代横綱。後に鳴戸親方としても知られた。
- 貴ノ花利彰:大関。初代若乃花の実弟であり、二子山部屋で活躍した。
- 若嶋津六夫:大関。後に松ヶ根親方として活動した。

特に注目されるのは、実弟の貴ノ花も同じ部屋で育てたことだ。初代若乃花は親方として、身内であっても力士としての成長を重視した指導を行ったと報じられている。

日本相撲協会理事長への就任

1976年には日本相撲協会の理事に就任。そして1988年2月1日、同協会の理事長に就任した。

理事長として取り組んだ課題の一つが、立ち合いの正常化だった。日刊スポーツの当時を振り返る報道によると、「待った」に対する制裁金を導入するなど、力士が正しく立ち合うための改革を進めた。行司に対しても、力士に手をつかせてから立ち合いを始めるよう徹底したという。

理事長在任は1988年から1992年まで。相撲博物館の公式展示記録も、この期間の活動を確認している。現役横綱、親方、協会運営の責任者という異なる立場から、長年にわたって大相撲を支えたことになる。

理事長退任後と相撲博物館館長

1992年に理事長を退任した後は相談役となり、1993年には相撲協会を定年退職。その後、相撲博物館館長に就任した。

ただし、角界での活動は1996年に終わりを迎える。日刊スポーツの年譜によると、同年9月、所得税の申告漏れを理由に館長職を辞任した。横綱、名伯楽、理事長として華々しい功績を残した一方、晩年の経歴にはこうした出来事もあった。

【二代目若乃花幹士との違い】第45代と第56代を比較

初代若乃花を調べる際、混同されやすいのが二代目若乃花幹士の存在である。同じ四股名と「幹士」という名前を受け継いでいるが、2人は生まれた年代も本名も戦績も異なる。

二代目は初代が創設した二子山部屋の弟子であり、初代から指導を受けて横綱に昇進した力士だ。つまり、単に同じ名前を使った後継者ではなく、師匠と弟子という明確な関係がある。

初代と二代目のプロフィール比較

比較項目初代若乃花二代目若乃花
横綱の代数第45代第56代
本名花田勝治下山勝則
生年1928年1953年
出身地青森県弘前市青森県大鰐町
身長179cm188cm
体重105kg135kg
幕内優勝10回4回
生涯戦歴593勝253敗4分55休656勝323敗85休
横綱在位1958~1962年1978~1983年
得意技呼び戻しなど左四つ・上手投げ
師弟関係二子山部屋の創設者初代の弟子

出典:日本相撲協会・歴代横綱プロフィール第45代、第56代。

二代目はどんな横綱だったのか

二代目若乃花幹士は1953年4月3日生まれ。青森県南津軽郡大鰐町出身で、本名は下山勝則。初代若乃花が創設した二子山部屋に所属し、若三杉の四股名で活躍した後、1978年7月場所から第56代横綱・若乃花幹士を名乗った。

幕内優勝は4回。得意技は左四つと上手投げで、初代の呼び戻しを看板とする相撲とは異なる特徴を持っていた。1983年1月場所に引退し、その後は年寄間垣を襲名した。2022年に死去している。

第66代横綱・若乃花勝とも別人

もう一つ注意したいのが、第66代横綱の若乃花勝である。こちらは1971年生まれで、本名は花田勝。初代若乃花幹士の実弟・貴ノ花の息子、つまり初代の甥にあたる人物だ。

若乃花勝は1998年7月に横綱へ昇進し、幕内優勝5回を記録した。2000年3月場所に引退している。

名前を整理すると、次のようになる。

- 初代若乃花幹士:第45代横綱・花田勝治。
- 二代目若乃花幹士:第56代横綱・下山勝則。
- 若乃花勝:第66代横綱・花田勝。初代の甥。

特に「若乃花幹士」という正式な四股名を受け継いだ二代目と、「若乃花勝」という四股名で活躍した第66代横綱は区別する必要がある。花田勝という本名が初代の花田勝治と似ていることも、検索時に混同が生じる理由の一つだ。

【初代若乃花幹士の生涯と死因】82歳で迎えた最期

初代若乃花幹士は、2010年9月1日午後5時25分、東京都内の慶應義塾大学病院で死去した。享年82歳。死因は腎細胞がんだった。

日刊スポーツの2010年9月2日付訃報によると、1994年には胃がんの手術を受け、その後も再発や転移に苦しんでいた。晩年には肝臓などにも悪性腫瘍が見つかり、体力が衰えていたという。

同紙は、亡くなる直前まで相撲への関心を持ち続けていたことも伝えている。体調のよい日には自宅で相撲中継を観戦し、新聞にも目を通していた。現役を退いてからも、相撲は生活の中心にあり続けた。

相撲界に残した功績

初代若乃花の生涯を振り返ると、その功績は大きく3つに整理できる。

第一に、現役横綱としての実績。 幕内優勝10回、第45代横綱という肩書だけでなく、呼び戻しという印象的な技と、体格差を克服した粘り強い相撲で多くのファンを魅了した。

第二に、二子山部屋の創設と後進育成。 二代目若乃花、隆の里という2人の横綱を育て、貴ノ花や若嶋津といった大関も輩出した。自身の現役時代の強さを次世代へ伝えたことは、角界にとって大きな財産だった。

第三に、日本相撲協会の運営への貢献。 理事長として立ち合いの正常化などに取り組み、相撲の競技としての信頼性や土俵の充実に力を注いだ。

2011年には日本相撲協会の相撲博物館で「初代若乃花とその弟子たち」という企画展が開催された。死去から約1年後にその足跡が展示されたことは、名横綱としてだけでなく、名親方としての評価も高かったことを示している。

【若乃花幹士初代に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:初代若乃花幹士の本名は何ですか?
A1:本名は花田勝治(はなだ・かつじ)です。1928年3月16日、青森県弘前市生まれで、第45代横綱として活躍しました。

Q2:初代若乃花幹士の幕内優勝回数と生涯戦歴は?
A2:幕内優勝は10回です。日本相撲協会の公式記録では、生涯戦歴593勝253敗4分55休、幕内戦歴546勝235敗4分55休となっています。

Q3:初代と二代目若乃花幹士の違いは何ですか?
A3:初代は第45代横綱の花田勝治、二代目は第56代横綱の下山勝則です。初代は幕内優勝10回、二代目は4回。二代目は初代が創設した二子山部屋の弟子にあたります。

Q4:初代若乃花幹士の死因は何ですか?
A4:2010年9月1日、82歳で腎細胞がんのため亡くなりました。東京都内の慶應義塾大学病院で死去したことが当時の報道で伝えられています。

Q5:初代若乃花幹士の得意技は何ですか?
A5:代表的な得意技は呼び戻しです。「仏壇返し」とも呼ばれる豪快な技で、日本相撲協会の解説では本場所で15回決めたと紹介されています。

まとめ:初代若乃花幹士が大相撲史に残したもの

初代若乃花幹士は、単に優勝10回を達成した横綱ではない。小柄な体格を強靭な足腰と鍛錬で補い、呼び戻しという豪快な技で観客を魅了した、第45代横綱である。

栃錦との栃若時代は戦後の大相撲人気を支え、引退後に創設した二子山部屋からは2人の横綱と2人の大関が誕生した。さらに1988年から1992年まで日本相撲協会理事長を務め、土俵の運営にも携わった。

【プロの結論】初代若乃花を評価する3つの視点

初代若乃花の歴史的価値を理解するなら、次の3点を押さえておきたい。

  • 競技者としての価値:593勝253敗という記録に加え、呼び戻しと足腰の粘りで独自の相撲を確立したこと。
  • 指導者としての価値:二子山部屋を通じて、複数の横綱・大関を育てたこと。
  • 組織運営者としての価値:日本相撲協会理事長として立ち合いの正常化などに取り組んだこと。

また、初代と二代目、さらに第66代横綱・若乃花勝を混同しないことも、人物史を正確に理解するためのポイントとなる。

2026年現在、初代若乃花幹士はすでに没後16年を迎えている。しかし、栃若時代の名勝負、二子山部屋から巣立った力士たち、そして「土俵の鬼」と呼ばれた相撲への姿勢は、昭和の大相撲を象徴する記憶として残り続けている。

初代若乃花幹士の真価は、横綱として勝った数だけではなく、自ら築いた相撲の伝統を次の世代へ受け渡したことにある。 それこそが、今なお語り継がれる最大の功績である。


主な参考資料:日本相撲協会「歴代横綱プロフィール」「相撲博物館・過去の展示」、小学館『日本大百科全書』『デジタル大辞泉』、ブリタニカ国際大百科事典、日刊スポーツ(2010年9月の訃報・年譜)、放送ライブラリー。 (出典: 若乃花 幹士 初代(Yahoo!ニュース))