神津よしゆき(神津善行)とは?映画音楽339本と家族、2026年の現在を徹底解説
「神津よしゆき」と検索すると、作曲家・神津善行の名前や、妻だった中村メイコ、娘の神津カンナ・神津はづき、映画音楽の実績などが見つかります。
神津善行(こうづ・よしゆき)は、1932年1月2日生まれの作曲家です。国立音楽大学でトランペットを専攻し、映画音楽を中心に300作品以上を手掛けてきました。妻の中村メイコとは1957年に結婚。長年にわたる夫婦生活と、3人の子どもを中心とした芸術一家でも知られています。
2026年には94歳を迎え、古楽器アンサンブル「六華仙」の復活コンサートや、ゴルフ専門誌での対談など、新たな活動も話題になりました。映画音楽の作品数についても、303作品、330作品、339本という異なる数字が見られます。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 人物・読み方: 神津善行と書いて「こうづ・よしゆき」。1932年1月2日生まれの作曲家。
- 音楽活動: 国立音楽大学トランペット専攻を卒業。映画音楽は330作品以上、2026年の本人談では339本。
- 家族: 1957年に中村メイコと結婚。神津カンナ、神津はづき、神津善之介の3人の子どもがいる。
- 六華仙: 1992年に結成した古楽器アンサンブルが2026年に復活。
- 現在: 94歳となった2026年も音楽活動や対談などを通して健在ぶりを見せている。
【神津よしゆきとは何者?神津善行の読み方・プロフィール・年齢】
神津善行(こうづ・よしゆき)
作曲家・音楽プロデューサー・エッセイスト
2026年10月31日時点
1932年1月2日生まれ/東京都出身
神津よしゆきという名前で検索される人物は、漢字で「神津善行」と表記する作曲家です。
読み方は「こうづ・よしゆき」。名字の「神津」は「こうづ」、名前の「善行」は「よしゆき」と読みます。
映画音楽、歌謡曲、吹奏楽曲など幅広いジャンルで作曲を手掛け、テレビ番組の司会や音楽プロデュース、大学との共同研究にも携わってきました。
神津善行の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 神津善行 |
| 読み方 | こうづ・よしゆき |
| 生年月日 | 1932年1月2日 |
| 年齢 | 94歳(2026年) |
| 出身 | 東京都 |
| 学歴 | 国立音楽大学卒業 |
| 専攻 | トランペット |
| 職業 | 作曲家 |
| 妻 | 中村メイコ(2023年12月31日逝去) |
| 長女 | 神津カンナ |
| 次女 | 神津はづき |
| 長男 | 神津善之介 |
出身大学の国立音楽大学は、同窓会組織が2018年に発表した第1回「くにたち賞」の大賞受賞者として神津善行を紹介しています。
同大学の公式略歴には、1932年1月2日東京生まれ、1956年にトランペット専攻で卒業したことが記されています。
神津善行の年齢は2026年現在94歳
神津善行は1932年1月2日生まれです。
2026年1月2日に94歳の誕生日を迎えました。
2026年3月に掲載された樋口久子との対談でも、本人が94歳であることに触れています。
94歳という年齢でありながら、2026年には自身が関わってきた音楽活動の再始動や、長年の趣味であるゴルフについての対談も行われています。
【国立音楽大学で学んだ経歴と映画音楽の代表作品】
神津善行の音楽家としての原点は、学生時代にあります。
単に音楽大学を卒業した作曲家というだけではなく、トランペット奏者としての経験や戦後のジャズとの出会いが、その後の幅広い音楽活動につながりました。
国立音楽大学ではトランペットを専攻
神津善行は1956年に国立音楽大学を卒業しました。
専攻は作曲ではなく、トランペットです。
大学時代には作曲家の信時潔、服部正に作曲を師事し、トランペットについては中山富士雄、北野博正らから学びました。
こうした経歴から、神津善行の音楽的な特徴を理解するには、作曲技術だけでなく、器楽演奏を基礎とした音楽教育にも注目する必要があります。
戦後ジャズと三木鶏郎との出会い
神津善行は戦後のジャズに魅了され、バンドボーイを経験したことでも知られています。
学生時代から作詞・作曲家の三木鶏郎のもとで仕事をするようになり、ラジオ番組やコマーシャルソングなどの音楽制作に関わりました。
ここで重要なのは、神津善行が映画音楽だけを専門にしていたわけではないという点です。
放送、広告、歌謡曲など、当時急速に広がっていた大衆音楽の現場に早くから携わっていたことが、その後のキャリアを支えました。
三木鶏郎の仕事場には永六輔らも出入りしており、神津善行は戦後の放送文化を支えたクリエーターたちと接点を持ちながら活動を始めています。
神津善行の代表曲・映画音楽
神津善行の作品は、映画音楽から歌謡曲、行進曲、交響詩まで多岐にわたります。
代表的な作品として挙げられるのが、次の楽曲です。
新妻に捧げる歌
歌謡曲。作詞は中村メイコ、作曲は神津善行。江利チエミが歌った作品で、夫婦の音楽的なつながりを象徴する一曲です。
星空に両手を
作詞は西沢爽、作曲は神津善行。島倉千代子と守屋浩による歌唱で知られる歌謡曲です。
朝日に栄光あれ
テレビ朝日のスポーツテーマとして知られる行進曲。スポーツ中継に力強さと高揚感を与えてきた作品です。
交響詩「月山」
映画音楽や歌謡曲とは異なる、作曲家としての芸術的な側面を示す作品です。
映画音楽では、東宝映画の『ニッポン無責任時代』や『社長シリーズ』などが代表的な仕事として挙げられます。
1960年代の日本映画では、映画音楽は作品の雰囲気を形づくる重要な要素でした。コメディー作品では軽快さやテンポ感が求められ、企業社会を舞台にした作品では、場面に応じた親しみやすさも必要になります。
神津善行は、こうした映画制作の現場で数多くの作品を担当しました。
映画音楽303作品・330作品・339本の違いは?
神津善行について調べると、映画音楽の作品数に複数の数字が登場します。
ここは検索時に混乱しやすいポイントです。
確認できる資料を比較すると、次のようになります。
| 情報源・時期 | 紹介された数字 | 内容 |
|---|---|---|
| 国立音楽大学同窓会・2018年 | 330作品 | 映画音楽の担当作品数 |
| 婦人公論の人物紹介 | 約300曲 | 映画音楽を中心とする作曲実績 |
| 2026年3月の本人対談 | 339本 | 本人が語った映画音楽の本数 |
| 一部の検索キーワード | 303作品 | 主要資料で裏付けを確認できない数字 |
特に注目したいのは、2026年3月10日公開の「Myゴルフダイジェスト」に掲載された樋口久子との対談です。
この対談で神津善行本人は、自身が手掛けた映画音楽について339本と話しています。
一方、国立音楽大学同窓会の公式略歴では330作品と紹介されています。
両者の集計範囲や更新時期の違いは明らかになっていませんが、少なくとも303作品という数字を確定的な実績として扱う根拠は見当たりません。
2026年時点で紹介するなら、大学の公式略歴にある330作品と、本人が語った339本を区別して記載するのが適切です。
【妻・中村メイコとの馴れ初めと結婚生活、3人の子ども】
中村メイコ
女優・タレント。
1957年に神津善行と結婚。芸能界でも長年にわたって知られた夫婦で、2023年12月31日に89歳で亡くなりました。
神津善行を語るうえで欠かせないのが、長年連れ添った妻・中村メイコの存在です。
2人は1957年に結婚し、約66年間にわたる夫婦生活を送りました。
神津善行と中村メイコの馴れ初め
2人が知り合ったのは、1950年代初頭です。
当時、神津善行は国立音楽大学の学生で、三木鶏郎の仕事場で音楽制作に携わっていました。
一方、中村メイコも三木鶏郎の仕事に関わっており、神津善行が彼女のために曲を作ることになったのが出会いのきっかけでした。
このエピソードは、神津善行本人が『婦人公論』のインタビューで振り返っています。
最初の出会いについて、神津善行は中村メイコの歌声を確認しようと音域を尋ねたところ、彼女が歌う代わりに舌を出したという、ユーモラスな思い出を紹介しています。
当時から芸能界で活躍していた中村メイコと、音楽家を目指す学生だった神津善行。
2人の関係は、華やかな芸能界の交際というよりも、音楽制作の現場で生まれたものでした。
1957年に結婚した2人の夫婦生活
神津善行と中村メイコは1957年に結婚しました。
結婚当時、中村メイコは23歳、神津善行は25歳でした。
2017年には結婚60年を迎え、テレビ朝日の『徹子の部屋』にも夫婦で出演しています。
2020年にはNHKの『ごごナマ』で夫婦そろって終活について語りました。
その際には、長年暮らした家からマンションへ移る際、トラック7台分の荷物を整理したエピソードも紹介されています。
神津善行は、映画音楽の楽譜が大量に保管されていたことについても振り返っていました。
音楽家としての長い仕事の歴史を、夫婦で整理していたことがうかがえます。
神津善行と中村メイコの子どもは3人
2人の間には、3人の子どもがいます。
長女:神津カンナ
作家・エッセイストとして活動。著述やメディア出演などで知られています。
次女:神津はづき
女優として活動。俳優の杉本哲太と結婚しています。
長男:神津善之介
画家として活動。神津家の芸術的な才能を受け継ぐ人物の一人です。
このように、神津家は作曲、文学、演劇、美術と、それぞれ異なる分野で活動する家族として知られています。
2024年3月に開かれた中村メイコの「乾杯で送る会」には、神津善行、神津カンナ、神津はづき、神津善之介が出席しました。
中村メイコの逝去後も、家族のつながりが続いていることを伝える場面となりました。
中村メイコは2023年12月31日に逝去
中村メイコは2023年12月31日、肺塞栓症のため89歳で亡くなりました。
2024年3月18日には、都内で「乾杯で送る会」が開かれています。
その後、神津善行は妻を亡くした悲しみについて、複数のメディアで語ってきました。
2025年10月15日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』では、森公美子とともに出演し、妻との思い出や亡くなった後の日常について話しています。
自宅には、仏壇の代わりに「メイコの部屋」と呼ぶ場所を設け、そこで妻に話しかけることが心の落ち着きにつながっていると紹介されました。
長年連れ添った伴侶を失った後も、日常の中に妻とのつながりを残している姿が印象的です。
【六華仙とは?神津善行が1992年に結成した古楽器集団】
神津善行の活動を理解するうえで、映画音楽と並んで注目したいのが「六華仙(ろっかせん)」です。
六華仙は、神津善行が1992年に結成した古楽器アンサンブルです。
映画音楽や歌謡曲の作曲家として知られる神津善行ですが、実は植物と音楽の関係を研究するなど、音楽を科学や自然環境と結び付けた活動にも取り組んできました。
六華仙の結成経緯と目的
六華仙の特徴は、東洋と西洋の伝統楽器を組み合わせて演奏することです。
琵琶や中国古箏などの東洋楽器と、フィドル、古典ハープ、ピアノなどの西洋楽器を組み合わせ、独自の音楽表現を追求してきました。
結成の背景には、神津善行が長年取り組んできた植物と音の研究があります。
神津善行は早稲田大学理工学部と共同で、植物が発する微弱な電位を測定・解析する研究に携わりました。
植物から得られた電気的な信号を音に変換し、音楽として表現する試みにも取り組んでいます。
五井平和財団の講演録では、植物の発信音と古楽器集団・六華仙の演奏を組み合わせ、国内外で公演を行ってきた経緯が紹介されています。
2026年に六華仙が復活
2026年の大きなトピックが、六華仙の復活です。
つくば文化振興財団が発行した2026年4月号の公演情報では、5月29日にノバホールで「六華仙復活コンサート」が開催予定として掲載されました。
公演では、神津善行が構成・お話を担当し、次の演奏家が参加する6人編成が紹介されています。
| 参加者 | 担当楽器 |
|---|---|
| 坂田美子 | 琵琶 |
| 鎌田しのぶ | ピアノ |
| 田尻かをり | フィドル |
| 上野真理子 | フィドル |
| 小橋かおり | 古典ハープ |
| 姜小青 | 中国古箏 |
演奏予定曲には「チャルダッシュ」「火祭りの踊り」「ボレロ」「舟唄」「昭和枯れすすき」などが挙げられていました。
東洋の伝統楽器と西洋の楽器を組み合わせ、クラシックから昭和歌謡まで幅広い作品を新たな響きに生まれ変わらせる企画です。
これは単なる懐古的な再結成ではありません。
神津善行が長年追求してきた、異なる文化や音楽を組み合わせる発想を、現在の演奏家たちと共有する取り組みです。
【神津善行の2026年現在は?ゴルフ桟敷と樋口久子との対談】
2026年の神津善行を語るうえで、もう一つ注目したいのがゴルフです。
音楽家として長年活動してきた神津善行は、ゴルフ歴も70年以上に及びます。
ゴルフは単なる趣味ではなく、仕事仲間や著名人との交流、人生の思い出とも深く結び付いています。
神津善行の「ゴルフ桟敷」とは?
「神津善行のゴルフ桟敷〜そっとのぞいてみてごらん」は、週刊ゴルフダイジェストで連載されていた企画です。
ゴルフを通じた人との出会いや、長年の経験から得た思い出などを紹介する内容でした。
2026年3月10日に公開された「Myゴルフダイジェスト」の記事では、同連載が前月に最終回を迎えたことが紹介されています。
長年ゴルフを楽しんできた神津善行にとって、この連載は音楽とは異なる人生の一面を伝える場でもありました。
樋口久子との対談で語られた砧ゴルフ場の思い出
2026年3月10日公開の対談では、女子プロゴルファーの樋口久子と神津善行が、かつて存在した砧ゴルフ場について語っています。
2人には、約60年前の砧ゴルフ場を通じた接点がありました。
砧ゴルフ場は1955年に9ホールで開場し、1966年に閉鎖。現在は都立砧公園となっている場所です。
樋口久子は高校生時代、ゴルフ場に勤めていた姉のもとに通い、練習場でクラブを握るようになったと振り返っています。
神津善行も、東宝の撮影所から歩いて砧ゴルフ場へ通っていたそうです。
当時の映画関係者にはゴルフ好きが多く、撮影所で行う打ち合わせをゴルフ場の食堂で済ませることもあったといいます。
対談では、神津善行が映画音楽を339本手掛けたことにも言及。音楽家としての仕事とゴルフの思い出が交差する内容になりました。
94歳になった神津善行の現在の活動
2026年10月31日時点で、神津善行は94歳です。
2025年10月には『徹子の部屋』に出演し、森公美子と中村メイコの思い出を語りました。
そして2026年には、六華仙の復活コンサートに構成・お話として参加する企画が発表されています。
さらに、ゴルフ専門誌での対談を通じて、長年の趣味や昭和の映画・ゴルフ文化についても振り返っています。
こうした活動を見ると、神津善行の現在は、単に過去の代表作を振り返るだけの時期ではありません。
作曲家として培ってきた知識や経験を、演奏家との共演、音楽文化の紹介、対談などを通して次の世代へ伝える活動が続いています。
【プロの結論】神津善行の本当の功績は映画音楽だけではない
神津善行の経歴を整理すると、その功績は映画音楽の制作本数だけでは評価しきれません。
注目すべき点は、大きく3つあります。
第一に、映画音楽と大衆音楽の両方を手掛けたこと。
映画音楽だけでなく、歌謡曲やテレビ番組のテーマ、吹奏楽曲など幅広いジャンルで作品を残しています。戦後の日本の映像・放送文化を音楽面から支えてきた存在です。
第二に、音楽を異なる分野へ広げたこと。
植物の電位を音に変換する研究や、東洋と西洋の楽器を融合させる六華仙の活動は、一般的な映画作曲家の枠に収まりません。
第三に、長年培った知識を次世代に伝えていること。
2026年の六華仙復活企画や、ゴルフ専門誌での連載・対談は、神津善行が音楽と文化の橋渡しを続けていることを示しています。
神津善行を調べる際には、映画音楽の作品数だけでなく、こうした活動の広がりにも目を向けると、人物像をより立体的に理解できます。
【神津よしゆき・神津善行に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:神津よしゆきと神津善行は同じ人物ですか?
A1:同じ人物です。漢字表記は神津善行で、読み方は「こうづ・よしゆき」です。作曲家として映画音楽や歌謡曲などを手掛けてきました。
Q2:神津善行が作曲した映画音楽は303作品ですか?
A2:303作品という数字は主要な資料で裏付けられていません。国立音楽大学同窓会の2018年の略歴では330作品、2026年3月の本人の発言では339本と紹介されています。
Q3:神津善行の妻や子どもは誰ですか?
A3:妻は2023年12月31日に89歳で亡くなった女優・中村メイコです。子どもは長女の神津カンナ、次女の神津はづき、長男の画家・神津善之介の3人です。
Q4:神津善行は2026年現在も活動していますか?
A4:はい。2026年には94歳を迎え、古楽器アンサンブル「六華仙」の復活コンサートで構成・お話を担当する企画が発表されました。また、同年3月には樋口久子との対談記事も公開されています。
Q5:神津善行が結成した六華仙とは何ですか?
A5:1992年に結成された古楽器アンサンブルです。琵琶や中国古箏などの東洋楽器と、西洋の古楽器を組み合わせた独自の演奏活動を行っています。2026年には復活コンサートが企画されました。
まとめ:神津善行の経歴・家族・2026年の現在
神津善行は、1932年1月2日生まれの作曲家で、読み方は「こうづ・よしゆき」です。
国立音楽大学のトランペット専攻を卒業し、映画音楽を中心に330作品以上を担当。2026年3月の本人談では339本という実績が語られています。
私生活では1957年に中村メイコと結婚し、神津カンナ、神津はづき、神津善之介という3人の子どもに恵まれました。中村メイコは2023年12月31日に亡くなりましたが、神津善行は現在も妻との思い出を大切にしています。
2026年には94歳となり、六華仙の復活企画や樋口久子との対談など、音楽と文化に関わる活動が確認できます。
神津善行の魅力は、映画音楽を数多く生み出した実績だけではありません。 ジャズ、歌謡曲、古楽器、植物と音の研究など、ジャンルの境界を越えて音楽の可能性を追い続けてきたことにあります。
昭和の映画音楽を支えた作曲家であり、家族と長い人生を歩み、94歳となった現在も音楽文化を伝え続ける人物。それが神津善行という作曲家の姿です。
主な参考資料:国立音楽大学、国立音楽大学同窓会、五井平和財団、婦人公論、テレビ朝日『徹子の部屋』、オリコンニュース、週刊ゴルフダイジェスト、つくば文化振興財団。 (出典: 神津 よし ゆき(Yahoo!ニュース))